地震予知の青松こと、進村耕喜について

Webネーム(ペンネーム) 青松とは
※戦時中旧ソ連軍の捕虜になった経験が有る、今は亡き叔父が他界前に私に 送ってくれた掛け軸に由来します。
この掛け軸の内容とは、人間は死ぬまで、青松(せいしょう)のごとく有れというものです。松の葉が一年中青い色
をしていることから、私の生き方も、これから先どんな苦難な時があっても、最後まで諦めず、最後まで希望を捨
ててはならない。何時も青春を生きる若者のごとく、活き活きとした人間たれという意味合いのモノです。
Web
ネーム青松(あおまつ)は、その掛け軸に因み、自ら誓いの意味を含め付けました。※


本名  進村 耕喜
所在地 山梨県

職業  山梨県内2カ所の観測所で、研究を行っています。
     主に衛星熱画像による予知研究や、FM波の観測などです。

きっかけ 1995年の1月に、当時ボランティアとして登録していた青年会議所より、阪神
     淡路大震災後の救援物資搬送などの支援の為、兵庫県西宮に出向しました。
     この時、震災直後の被災地にて貴重なボランティア活動を経験させて頂きました。
       地震で親を亡くした子供達と接し、当時私にも小中生3人の同じ年頃の子供
     がいて、明るく振る舞おうとする子供達を見た私は深い悲しみを感じました。
     そして、地震に対し何か自分でも出来ることはないかと、その後も考えていました。
      それから3年を過ぎた1998年の5月頃より、飛躍的に進歩したインターネット
     環境によって【地震雲と呼ばれる雲】の存在を知りました。いわゆる地震前の宏
     観現象といわれるものの一つです。1995年の被災地においても、普段とは違った
     様々な宏観現象が地震前に有ったことを、被災者の方より直接聞きいてはいまし
     たが、具体的にそれらがどんなモノであるのかを知ったのは19985月を過ぎて
     からのことです。
       私は一日に6時間以上の時間を費やし、自分自身で雲を観測したり、ネットで勉
     強することで地震雲の形、基本を覚えました。
       その頃より私は、地震雲と云われるモノが目で見えるモノであるならば、宇宙か
     ら撮影した人工衛星の写真でも【地震雲】と伝えられている雲が確認できるのでは
     ないかと考えたのです。それが衛星写真による地震予知の元祖、青松の始まりです。
            
当時の一般的なWeb環境は、まだまだ全国平均の通信速度で考えた場合、頻繁
     に衛星画像(写真)をインターネットでダウンロードし、一眼レフ広角レンズで撮影した
     写真と照らし合わせて研究が出来る程の環境の方は少なかったです。しかし、幸い
     にも私が住んでいた愛知県豊田市では、CATV回線などが早期より普及し、当時で
     も十分に快適な環境が整っていたのです。快適な通信速度でWebより衛星写真をダ
     ウンロードし、毎日研究する事が私には出来たのです。
      当初は兎に角一生懸命無我夢中で、今思い返せばあれもこれも前兆の可能性で
     はないかなと゜の状況でした。その後もみかん箱に入らない程撮影した雲の写真と、
     人工衛星写真を何千回何万回も繰り返し照らし合わせ、やっとある特定の現象を見
     つけることが出来たのです。
     地震予測研究を始めてから10年以上、今では有る程度の自信も持てる様になりました。

     2007/10/20−記−・11/20−改−・12/2−改−

     青松倶楽部代表 進村 耕喜
         
観測所 1.山梨県塩山市 2.甲府市湯村
 
     お問い 合わせE;MAILはこちらまで→  SHINMURA@AOMATSU.JP 
(全て半角小文字に変換して送信です。)
     ■観測情報に関するお問い合わせに関しましては、青松倶楽部会員様以外へのお返事は出来
     かねますので予めご了承の程を宜しくお願い申し上げます。実験内容は全て有料となります。
     
■私の写真です。( 京体育館で講演を行った時に撮影して頂いたもの。)

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自己紹介は以上です-

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